非自我は非自我であるが故に自己の跳躍に対し非交叉的に絡み付く。自我は自我であるが故に自己の静寂的沈潜を嘲り、姿なきまま操作する。自己は自己であるが故に自己の愛を反復否定し、粘り着く。どれほど希い祈ろうと他我は他我であるために、自我は自我であるために、愛は幻想のように自己の背後深淵から侮蔑する。
あらゆる根拠の体系は決して時熟を許さない。その偽りの絶対性という暴力によって我々は時の空隙を埋めるよう無意義のまま捩じ込まれ消費処分される。安易な厭世主義もテーゼに包摂され同化積分され、恭順の終末が待っているだけだ。真理を求めて背反しようとそれも低俗な越権者の同等行為を再度遂行するに過ぎない。
『生のリアル』とは遍在しているわけではない。それは自己産出即還元による意味の創造によって補完されなければ記述され得ない。その術は自己直知によってのみ潜在的可能化される。それによってのみ我々は『人間』へと至り、自己を『私』と称する権原を獲得する。規範的行為など必要ではなく、かつそんなものなどあり得ない。初めから必要な道具立ては既に揃っている。ただそれに気付けば良いだけだ。
そこにあるべきだったもの、その全てを捨象する。
もっと楽に、もっと苦しくなるために。 慰めは自己破壊と苦しみの拡大遅延を招来するのみだ。 結論を述べ続ける。 please. please. please. please. please. please. please. please. please. please. please. please. please. metaforce iconoclasm cannot decay.